非常口ピクトグラムデザイン -普遍的なピクトグラムのデザインとは-

ブランド・アイデンティティ・デザインのための シンボルマーク5分類の比較と分析カバー

非常口ピクトグラムの誕生

非常口のピクトグラムは、1973年に熊本県熊本市で発生した大洋デパート火災をきっかけに誕生したとされています。当時の非常口誘導灯はサイズが小さく表示も漢字だったため煙や炎の中で確認できず、死者104人・負傷者67人という日本における開店中のデパート火災としては史上最悪の惨事に至ってしまいました。

そのため、非常口のピクトグラムは火災時に炎の色である赤色に対して、最も視認性の高い色である緑色が使用されています。また、白色は停電などが発生した場合に照明の役割を果たします。そうした改善を重ね、1982年に私たちが見慣れた「非常口のピクトグラム」が制定されました。このピクトグラムは日本のデザインが国際規格となった初めての例だそうです。

現在はどんな施設でも見かけるこのピクトグラムですが、このデザインに決まるまでには世界の国々を巻き込む紆余曲折がありました。

国境や文化を超えた普遍的なピクトグラムのデザインとは

当時、ソ連の案が決まりかけていたところ、遅れて日本側が案を持ち込んだことで再度議論を行うかたちになります。その際に提案されていたソ連と日本のデザイン案が以下のものです。

ブランド・アイデンティティ・デザインのための シンボルマーク5分類の一覧

見慣れているという点を差し引いても完成度の差が一目瞭然という印象ですね。要素が多いことによるソ連案の煩雑さは、緊急時の認識における阻害要因になりかねません。

遅れて提案した日本案ですが、その品質の高さもあり議論の俎上に載せられることになりました。当然、各々自国のデザインが優れていると主張するわけですが、その攻防(反対意見)が非常に興味深かったので以下に転載します。

日本→ソ連

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1)「開口部+人体」部分が全体の中で貧弱。人のプロポーションもなじみにくい。
→身体の線が異様に細く硬直的で、頭も小さく弱々しいですね。手足の末端が直角な直線でカットされている点は、人体の有機的なカーブとは馴染まない印象です。

2)ドアの垂直線が人体の認知に対してマイナス要因となる。ドアのアウトラインも人体に接近しすぎて雑なため、伝達意図が即時的かつ明解に伝わりにくい。
→これは1)とも関連した部分ですね。身体の真ん中を垂直に交わるようなドアのラインはシルエットの視認性を低下させそうです。

3)避難口はいつもドアがついているとは限らない。

4)図柄のアウトラインを二重にしているため、相対的に中のメッセージが弱められている。
→外形の矩形の中に、非常口の白い矩形が内包されています。プロポーションは異なるものの冗長な印象につながっています。

5)左右のバランスがわるい。左に比重がかかりすぎる。

6)“外に出る”という基本メッセージに対し、“右から左に走って出る”意味合いがつよい。つまり状況を視覚的に“説明”しており、意味をシンボリックに“形象”する図形にはなっていない。

ソ連→日本

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1)下端が切り開かれており閉じていない。
→これは日本側の批判4)と対になる部分のようです。ピクトグラムとして様々な利用シーンがあるなか、どういったデザインが適切かという観点で意見が分かれるところでしょう。対照的なアプローチが興味深い点です。

2)ドアがついておらず、非常出口(通常は出入禁止)という意味が伝わらない。

3)走っている人の背景に、人の横の姿を複雑に見せるような不自然さがある。足の影も、ある条件下では足の延長に見られるおそれがある。
→足の影をどう認識するかはなかなか難しいところですね。確かに足の延長にも見えなくはないですが、そうした点を考慮してか、影の始点が若干ずらして設計されているため大きな問題にはならないのではないでしょうか。

ピクトグラムデザインの本質とは

それぞれが着目するポイントと課題意識が明らかになっており、ピクトグラムデザインにおいて非常に参考になるのではないでしょうか。「デザインの言語化」という観点からも興味深く、具体的なレイヤーから抽象度の高いレイヤーまで、多角的に分析されているのがわかります。

特に日本側のソ連に対する反対意見「意味をシンボリックに“形象”する図形にはなっていない」という点は、ピクトグラムデザインの本質を突いているものだと思います。非常に重い批判です。

日本では上記の反対意見に加えてソ連案と日本案の比較実験もおこなっており、通常照明下で約2割、煙の中では約1割日本案の方が視認性がよかったとの結果を得ていました(神忠久・自治省消防研究所)。

そうした科学テストも功を奏して(部分的な修正箇所はあったものの)、最終的には日本のピクトグラムデザインが国際規格として正式に採用となりました。

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極めて抽象化された非常口ピクトグラムのシンプルなデザインですが、割り出し図を見ると、カーブのひとつひとつまで非常に緻密な設計が成されていることが分かります。

そうしたディティールの積み重ねが、世界各国の様々な(時には非常に過酷な)環境での使用に耐えうる、高品質なデザインを実現しているのだと改めて考えました。

*参考文献:太田 幸夫(1987)『ピクトグラム〈絵文字〉デザイン』・柏書房